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【蒼天已死】 黄巾の乱 【黄天當立】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 17:56:06 ID:PgQeIHtT0
 漢朝の崩壊と三国時代の幕開けに繋がった黄巾の乱と、それに関わった人物について、
多角的に語りましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:40:34 ID:LTs5+NOs0
 意外に分からない部分が多いような気がする。
 乱を起こした張角とその周辺が興味深い。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 13:00:05 ID:v98/qya30
張角
 張角(ちょうかく、? - 184年)とは太平道の教祖で冀州鉅鹿(現在の河北省平郷県)の人。生年は不詳。自らを大賢良
師(または太平道人)他に天公将軍と称し、太平道の信者を集め、後漢末(184年)に「蒼天(後漢)已死 黄天(太平道)當
立」というスローガンを掲げ、弟の張梁、張宝らと共に後漢に反旗を翻した。

蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉

 このスローガンは従来五行の思想に基づく物であるとされているが、後漢は「火徳」(火・赤)の王朝であるという見方が
あるため、後漢を「蒼天」(木・青)と表現するのはおかしいのではないかという説もある。ただし、「蒼天已死」という文句は、
張角以前に現れており、張角はそれを黄天に結びつけたのではないかとも言われている。

 張角らの一党は「黄天」すなわち黄色をイメージカラーとし、黄色い布を頭に巻きつけた為「黄巾賊」と呼ばれた。張角が
起こした反乱を「黄巾の乱」と呼ぶのはこれが由縁である。

 黄巾の乱は中国全土に広がったが、張角が病死した後は、後漢の将皇甫嵩や朱儁らの活躍により急速に乱が治まって
いった。しかし、黄巾を名乗る蜂起は各地で続いた。さらに、北宮伯玉・韓遂・張燕・張脩など黄巾以外の反乱軍も数多く
蜂起し、もはや後漢政府の手に負えなくなった。この事件以降、後漢の権威は地に落ちた。

 やがて、黄巾兵を傘下に組み入れた曹操の魏に、孫権の呉・劉備の蜀漢を加えた三国が対峙する「三国時代」が到来
することとなる。

 一説には、元は党錮の禁以後に抑圧を受けた党人(清流派知識人)の一人であったと見る説もある。黄巾の乱が起こる
と党錮の禁は解除されたが、「張角だけは除く」としており、後漢の側が張角を党人と見ていたからではないかという。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 16:22:34 ID:LLssZ0AR0
どれぐらい組織だった戦闘ができたんだろうか?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 14:49:24 ID:VNtD4jwa0
それより、30万人以上の軍勢を組織したと言うけど、武器とかってどうやって調達するのかな?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:49:28 ID:BeJpTZIs0
つか張角って反乱起こして半年ぐらいで病死しているんだよね。
何だか頼りない指導者だな。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 09:10:14 ID:vmGpwu3U0
頼りない、と言うよりは無責任。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 16:15:55 ID:yaxSax580
 太平道の首領の張角は、冀州の鉅鹿(今の河北省平郷)の人で、もともとは黄老道の信徒だった。彼は黄老道に伝承されて
いた《太平経》を読み、漢の霊帝の建寧年間(168〜171年)に布教を始め、自ら「大賢良師」と称し、太平道を創立した。
 《資治通鑑・霊帝記》には、「鉅鹿の張角は黄老を奉じて事とし、妖術を以て教授し、太平道と号す」と書かれている。「妖術を
以て教授し」というのは張角が黄老道を旗印にしながら《太平経》を布教したことを指している。異端の教団を建立したと言われ
るが、いわゆる「異端」は、朝廷が崇めていた黄老道に対して言っているだけである。道教の歴史から見れば、太平道と五斗米
道はどちらも黄老道が変化して出来た早期道教であり、「異端」であるということはない。
 さて漢代の皇帝および官府は黄老道を奉じてはいたが、《太平経》を読むことはなかった。これは宮崇・襄楷などが度々《太平
経》を献上したが、順帝・桓帝はそれを取り上げなかったのである。しかし、黄老道はすでに朝廷に認可されていたので、民間
の黄老道の指導者はそれを隠れみのにしながら異端の教団を組織し、また農民を蜂起させたりした。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 16:16:27 ID:yaxSax580
 桓帝の建和二年(148年)に長平の陳景や南頓の菅伯が起こした農民蜂起はその例である。張角は太平道を創立すると、は
じめのうちは符水・咒語で病気を治療することによって布教していった。「中黄太乙」(黄老道の太一神)を最高神として奉じ、人
々に善を行い道を信じることを勧め、布教を開始してから十余年も過ぎると、信徒は数十万に達した。
 漢末の社会危機が激しくなると、「漢行すでに尽き、黄家まさに興るべし」という予言が人々の心に深く入り込み、張角は8人の
弟子を四方に派遣して布教させた。青・徐・幽・冀・荊・揚・・豫の八州の人々はそれに共感し、家財を投げ売って張角に頼ってい
く人も少なくなかった。
 張角は36の方を作り教団を統括した。張角の太平道の教団は軍隊に準じて組織され、大方は1万人余り、小方は6〜7千人で
編制されそれぞれに首領を立てていた。張角は自ら「天公将軍」とも称し、その弟の張宝は「地公将軍」、張梁は「人公将軍」と称
した。そして、「蒼天すでに死し、黄天まさに立つべし、歳は甲子にあり、天下大吉」というスローガンを掲げ、教団の信徒には黄色
の布を着けさせ、中平元年(甲子の年、184年)3月5日(甲子の日)に「黄天泰平」の世界を建立するために挙兵することを城での
会合で取り決めた。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 16:17:04 ID:yaxSax580
 張角は弟子の馬元義を首都に派遣し、中常侍の封・徐奉が内応するように取り計らった。しかし、唐周が裏切り密告したので、馬
元義は朝廷の軍に破れ千人余りが殺され、武力革命は予定より十日以上早く決行しなければならなくなった。
 太平道の信徒による黄巾の乱はものすごい勢いで短期間のうちに全国に波及した。州都は攻め落とされ、官僚は逃亡し、首都
は震撼した。そこで朝廷は党派を弾圧するのをやめ、世の中の党人を大赦して人心を集めた。また、皇甫嵩・朱儁・盧植らに軍隊
を統括させて鎮圧にあたらせ、各地の地主の兵力も動員させて農民階級の反乱の鎮圧にあたらせた。
 張角の太平道は早期道教の結社だったが、この黄巾の乱は宗教の名を借りた農民の反乱にすぎなかった。それは結局、「勝て
ば王、負ければ寇」という中国の農民の反乱の模式から抜け出せず、朝廷が代わるための布石となっただけだった。黄巾の賊の
軍隊はこちらで起こってあちらで消え二十年以上も戦い続けたが、結局国家機関に鎮圧されて終わった。しかし、西漢王朝も黄巾
の乱という大事件の衝撃でやがて滅亡していった。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 16:10:30 ID:tW/rumWw0
首都での蜂起が成功していたら、どうなっていただろうか?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 11:45:32 ID:EOThTMeo0
でも、こういう農民反乱軍が長期安定政権を樹立した例はない。

古い王朝を倒すことはできても、新しい王朝を建てることはできないのが常。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:57:10 ID:F2rEBQkr0
>>10
首都で千人余りが殺されたって、洛陽にそれだけの手勢を伏せていたということ?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 15:44:39 ID:l0aaeB/B0
張角って、今で言う手品のようなことをいろいろやって、
信者を集めたんだろうね。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 16:23:57 ID:PbUFYvYc0
古今東西、どこの宗教の教祖も似たようなものだよ。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:46:22 ID:sYvBvphZ0
紅巾の乱も彭瑩玉も似たようなことやっていたんだろうな。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 12:51:46 ID:PnKMZmIa0
みんなで黄色いハンカチを振っていたら楽しそうだな

幸せの黄色いハンカチの乱

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 01:33:48 ID:mK3Ct0x+0
黄巾軍って、占領した地域で、どれぐらいの統治能力を持っていたんだろう?
農民反乱軍は、だいたいこの部分が弱くて自滅しちゃうけど。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:38:21 ID:P0JO1hrE0
知識人がどれぐらい参加していたかによるだろうね。
多分、ろくな行政能力を持っていなかったと思うけど。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 12:46:26 ID:O9ejWnWa0
やっぱり朝廷側の人間をたくさん寝返らせて、取り込まないと、
政権は立てられない。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 14:41:30 ID:fqHzB66S0
渠師にはそこそこの人物がいたようだね。
波才って奴は皇甫嵩、朱儁を緒戦で二度破っていたはず。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 16:14:20 ID:JZsaPP1x0
波才って珍しい姓だね。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 17:46:18 ID:ORmecsci0
やっぱ、厳政だろw!

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 15:01:18 ID:Dki/eEXM0
張角が病死することがなかったら、
この反乱はもっといい線までいったんだろうか?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 17:09:12 ID:N5AfSxer0
反乱の主体が農民である以上、政権を倒すことはできても、
新たな政権を作ることはできなかったと思う。


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:18:50 ID:iGWoKjqw0
むむむ

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 14:02:56 ID:ko7garPr0
>>22
確か元は違う名前だったんだけど、尊敬する人物に波姓の人が居たか何かで、それにあやかって改名したみたい。


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:20:10 ID:QHJlNN4Z0
太平道の教祖・張角が病気で死んだのはギャグか?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 14:51:28 ID:kUQs2Tdn0
幸福の科学の教祖さんの息子も学校でいじめに遭ったらしいから、
そういうものだろう。

30 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/05(金) 18:43:46 ID:Kx3+SCol0
幸福の科学の教祖さん自体が少年期いじめられっ子だったらしいけどね。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 18:47:50 ID:17GBGVst0
宗教で結びついたあたり、紅巾の乱や太平天国の乱と似ていると言えなくもないのかな。

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