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††国士無双††   韓信   ††背水の陣††

1 :張春華 ◆Shunka/GUM :2006/10/24(火) 03:19:19 ID:SZCJaei80
漢の三傑の一人。
中国史上のみならず世界史上の名将ともいえる韓信を語りましょう!m9(*・ヮ・)
軍事的戦略能力なら中国史上一かも?

韓信についてはココ↓
http://kanso.cside.com/kanshin-top.htm


2 :張春華 ◆Shunka/GUM :2006/10/24(火) 13:33:08 ID:pCg1hupz0
自ら2げっと(*;ヮ;*)キャハ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:36:58 ID:WJXOjL0Z0
股くぐりの件は、戦いに際して敵の油断を誘う効果があった反面、
こんな男に降伏するのは屈辱だ、と敵に降伏を拒ませる逆効果も生んじゃったそうだね。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:50:48 ID:I+OijTzU0
強過ぎて君主から妬まれ怖れられるから困る

5 :上野山悦子:2006/10/24(火) 15:51:22 ID:g/i6J+KO0
@お腹いっぱい。 :

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:59:58 ID:p6hSK/du0
狡兎死して良走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(おさ)められ、敵国破れて謀臣亡ぶ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 03:10:11 ID:4xmDz8M8O
正攻法はあまり得意でないようだが
奇策・奇襲のうまさは神
あと徴兵能力・治安維持・兵糧管理・情報収集能力は秀でてそうだ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 08:54:02 ID:o3xkLot+0
韓信に関心age

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:23:46 ID:9d5zg0uzO
流浪の身でありながらどうやって軍事の知識を学んだのか謎だ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 16:26:01 ID:j7P3JPrM0
王侯になった後の醜態はどうなんだろう?
自分を頼ってきた旧友の首を差し出す、挙句に謀略にかかって侯に落とされしかし懲りずに反乱狙ってクビチョンパというのはちょっと…

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 16:56:34 ID:V7uTA0/70
戦の天才だが政治や権力争いは苦手だったのかな

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 17:11:56 ID:y7YZAbHiO
>>9
軍事専門の塾があったんじゃないかな。孫子や墨子はありそうなんだが。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 18:57:03 ID:V3dQq19u0
>>9
史記によると寄宿生活をしながら学問していたそうだが
母親が死んだ際に帰らなかった事で「不孝」扱いされて破門されてる。
その後は独学か項羽軍に在籍した際に得た実戦知識を
自分なりに応用したのだろう。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:37:43 ID:qF6t+8se0
匈奴相手では使い者になりそうも無かったので、劉邦もアポーンしたのだろう。


15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 13:56:16 ID:QqkfSyI30
劉邦も匈奴にw

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 14:06:57 ID:1SVeulq+0
韓信らを粛清した後に匈奴に負けて「良将を得て四方を守らせたい」と嘆息した劉邦に乾杯w
(言った人が記憶違いだったらスマン)

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 08:43:35 ID:BavDBui30
でもそんな劉邦がお茶目で可愛い

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 12:49:56 ID:IZDTEgCK0
やっぱカキコ少ないのう。
おいらみたいに子供に「信」のいれるぐらいファンはおらんのか

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 13:47:40 ID:ogC2++Au0
織田家の末裔の方ですかな?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:36:22 ID:M7M267blO
肝心なところで判断を誤るのは感心せんな

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:32:58 ID:J3WpbWcV0
韓王信・・・

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 11:34:44 ID:26deI4230
>>21
ややこしいよね、それ。
時代も重なるし。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 11:40:22 ID:ME9hJ2hL0
韓信は
貧しい時代の自分に食を恵んでくれた老婆に大金を持って報いた
施してくれたが中途半端だった男(追い出したのは妻らしいが)には僅かな金で報いた
自分に股くぐりさせた男は、家臣にした
微妙な……

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:07:56 ID:NolRczXH0
韓信って項羽軍に入るまではニートだよな

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 02:22:18 ID:0XVI/kzr0
>>13
それ韓信じゃなくて呉起のエピソードだろ。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 15:45:58 ID:6MQs6dsM0
>>23
股くぐりさせた男には、むしろ感謝したらしいね。
あの時、反抗していたら、今の俺はなかったって。
でも、股くぐりさせた男は、いくら感謝され、家臣にされても、
生きた心地がせんわなw

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 21:47:35 ID:mh/yIKxh0
趙を制圧した際に韓信の私的顧問になった李左車の消息が不明なのは
やはり韓信処刑の際に連座したのかなと勘繰って見る。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:30:35 ID:GOhR1eMxO
結構李左車って謎な人物だよね
独立した伝がないからはっきりしたことが分からない

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:40:37 ID:VVzKlUhS0
韓信 統率100 武力77 知力100 政治85 魅力85
張良 統率 90 武力55 知力 98 政治96 魅力98
蕭何 統率 85 武力55 知力 91 政治98 魅力93

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:51:40 ID:R+CO2Etz0
張良が韓信を推挙したんだっけか?
もう忘れちまった

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:58:07 ID:TK0bk0yB0
項羽軍から投降した韓信を劉邦に推挙したのは、夏侯嬰
治粟都尉→逃亡した韓信を連れ戻し大将に推挙したのは蕭何

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:15:29 ID:lTV1UWeIO
>>24
食客じゃないかな。金持ちの家にタダ飯ぐらいの居候をさせてもらう。
ニートより質悪いな。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:18:56 ID:nrXcAcAA0
現在で言うニートは勤労意欲も上昇志向も無い無職を指すが
飯を恵んで貰った際に「出世したらこの恩は返す」と言っている韓信は
内心、自身の能力に相当の自信を持っていてかなりの上昇志向の持ち主だった。
だから仕官前の韓信をニートと呼ぶのは如何なものか。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:41:31 ID:DIQCSSmP0
出世したからいいものの、
> 内心、自身の能力に相当の自信を持っていてかなりの上昇志向の持ち主だった。
だけだったならまさに現代のニートそのもの。

世界にひとつだけの花現象っていうんだよね、確か。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 21:09:55 ID:7YOZRl6F0
>>28
李左車は雹神に祀られたとどっかで聞いた。
なんで雹神なのかは不明。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 07:37:17 ID:eVa2u2TxO
背水の陣っていつの間にか言い訳の材料として使われるようになったのが不満だな

韓信の背水の陣→わざとヘタレに見せて敵を誘い込みガラ空きになった敵本陣を伏兵が突撃

吉川元春→味方を鼓舞させる為、あえて味方を窮地に追い込む

某企業社長→自分の無為無策の為にいつの間にか背水に追いつめられ
そこで自分の危機に気づきようやく必死になり始める

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:23:23 ID:YBahGxqSO
>>29 なんだそのゲームのやりすぎ数値は    
こんぐらいだろ    
韓信 統率100 武力37 知力82 政治47 魅力80
張良 統率 40 武力35 知力98 政治92 魅力90
蕭何 統率 35 武力35 知力85 政治98 魅力93

韓信はそこまで頭いい訳じゃないし、陰謀や権力争いでは常に後手を踏んでる
適切なアドバイスをする人物もいたのに時代すら読めない。
自分の実績に過信しすぎる典型的な戦バカ。
指揮官としてはまさに国士無双な天才肌なのにすごいもったいない。    

兵を一度も率いた事がないことが有名なまさに天才的アドバイザーの張良が 
なぜに統率高いんだよW
三国の諸葛亮やらの兵を率いた現場指揮官、将軍とは立場まったく違うんだぞ



38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:55:08 ID:jCjdLg+20
>>36
現代人が使う背水の陣ってのは、中身はどちらかといえば項羽が鉅鹿で用いた
方の背水の陣に近いんよね

韓信の様に計算ずくで初めから十二分な勝算のうえに用いているのとは違うもの

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:21:09 ID:fAfpe4fL0
韓信を独立勢力として、天下三分の計を・・・・

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:01:23 ID:cOcJ+WB80
そこが韓信は不思議なんだよね
ただの馬鹿だったら劉邦の無理難題に怒っていつか反乱したろうし
ちょっと見通しのきく奴ならやっぱり華北で独立?したよね
中途半端にぐづぐづしてたのは何なんだろうな
味方のふりして漁夫の利えようとしたにしても


41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:07:02 ID:GgSjRnTW0
トップになりたくなかったんじゃないの?
技術者とか芸術家とか同じ気質。オレを認めてくれる奴についていくぜと
でも忠誠心は薄いし、他人の警戒心には鈍感だから身を保てない

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:47:16 ID:4kU+d3+z0
韓信が匈奴と戦うはめになったら野戦を避け長城の増築にいそしんだと思う。


43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 04:44:40 ID:uNiaqtTh0
>>41
天才的な名将だったけど他人にどう思われてるかに鈍感だったのは
源義経や大村益次郎やスキピオもだな。
天才には凡人の嫉妬心や警戒心など分からんのかもな。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 15:52:48 ID:3TJPzR0Z0
源義経wwwwwwwwwwwww

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:40:25 ID:Rxhf58pDO
そして九大天王の一人

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 09:57:43 ID:wpIMDmqQO
>>43 弓の天才・養由基を思い出した

他の者達が何発射ても当たらなかった猿を一発でしとめた際、周りから賞賛されても
『猿を射るのはこんなにも簡単なのになぜ皆は賞賛するのだ?』と言い放ち
他の将軍との弓比べに勝った際、養将軍曰く『弓は私の方が上だが飯を食う量ではあなたに勝てない』と言い放つ
決して養将軍はイヤミや皮肉で言ったのではなく真性で
弓の上手い奴→別にその程度出来て当たり前じゃん
他の事で凄い奴→すげー。私には絶対真似できないっす。尊敬しちゃうな
と思いこんでいたから始末に負えない

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 16:25:47 ID:eKlrB8ta0
養由基は将軍ではないよ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:44:00 ID:RHkm29VM0
>>42
長城ってどれぐらい役に立つんだ?

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:18:37 ID:84D1dcYK0
韓信と項羽って戦ったことないよね?
項羽の方が戦にかけては強い気がする。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:33:41 ID:gN0T/Mc80
>>49
一度だけ、垓下で正面から戦ってる。
兵力が拮抗していた時点では項羽におされ、漢が全戦力を投入して
三倍の兵力差に達した時点で項羽が敗走。
食料・疲労などの諸々の要素を考えれば項羽の方が悪条件。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:05:31 ID:JuUDtRGS0
 

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:43:47 ID:Ih508dKX0
股くぐりage

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 08:40:58 ID:2oCi4gClO
>>43
得てして非凡な才能を持った者はそれが世間では普通の事で皆の考えと同じと思っているからな
義経なんて正にそうだし、でも韓信は孫子を読んでたとしたら孫子は老荘の思想が入ってる筈なんだから
韜晦の術を身につけていてもおかしくない筈なのだが
陳平、張良も同僚としてアドバイスしなかったのも不思議だし・・・

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:28:00 ID:+Bl/h7Mh0
むしろ政治センスでしょ、これは
功績に相応しい扱いをされたい、と思うのは誰でも当然
使い捨て扱いを忍従するには却って意志の強さが邪魔になる
張良のようにそこそこ待遇で悠々暮すか、ショウカのように統一後も有用な人材として認められるか
戦場一筋の男にはちょっと縁遠い思考だったのかも

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:14:28 ID:2oCi4gClO
政治的センスと保身は別問題だと思うのだが・・・
現に蕭何は劉邦に危険視されてたし、かなり際どかったが召平の助言を受け悪宰相を演じる事で粛清を免れた。
張良はわざと欲の無い所を見せて警戒心を逸らせたり
本気で仙人になろうとして穀物断ちを行い呂后に止めるよう命令された。
老子の中に「功遂げ身退くは、天の道なり。」「足るを知れば辱められず、止るを知れば殆うからず。」という言葉があるが
これを張良はを実践したのである。
陳平は高祖の懐深く入り込み常に信頼を勝ち取る努力を怠らなかった。
高祖の危機を何度も救いながら全く慢らなかった。
蕭何は政治的手腕を張良、陳平は、そのプラス滔海の術を身につけていた。
韓信も知恵袋なり補佐の人間が居なかったのか?

ちなみに老荘の思想は腰抜けになれと奨めている訳ではない。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:58:29 ID:+v5f23T10
楚王韓信が鐘離昧と組んで反乱を起こすif

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:17:33 ID:zBRncuhJ0
韓信は、統一後に国を収めた時期もあるし
統一前でも別働隊を率いていた時期も長い
それでいて、問題が起きたという話しも聞かない

特に後者は政治力がないと無理だと思うな
世渡りは下手だったかもしれないが

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:44:19 ID:JCgXVKV7O
そだね。ボーっとした顔付きで体が大きかったらしいから、
戦術家としてのみ頭が回る人で、案外体育界系で、武骨だったのかも。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:00:14 ID:oU9quVV4O
良く言えば武骨で愚直、悪く言えば単純でお人好し
漢建国後、恩人である高祖に報いる為、楚で一所懸命に漢を支えようと努力するも
逆に猜疑の眼を向けられる結果になったのは韓信にとって不可思議の何物でも無かったはず。
それにしても蕭何や張良は彼に対して余りにも冷たすぎやしないだろうか?

まあ気持ちは解らなくは無いが何かもっといい対処法があったはず。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:44:23 ID:QrKBCHViO
立場は逆だが宋の太祖(趙匡胤)は後周の将軍から帝位に就いた時、
「人生は白駒の隙を過ぐるが如し」と古手の将軍を説きふせ、
皆に引退する事悟らせ自分も大粛清を避ける事に成功した。
同じ戦場一筋でもちゃんと政治的センスと滔海の思想を持ってる例なのだか・・・
韓信も名声と地位を得たのだから隠居して酒でも飲んでのんびりと余生を過ごせばよかったのに。


61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 02:27:11 ID:ARWdDqB00
保身の能力と政治の能力は別だろ

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 03:56:11 ID:s2VU9+rVO
何処に同じなんて書いてる?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:37:59 ID:ARWdDqB00
政治的センスと書いてあるが

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:35:50 ID:s2VU9+rVO
趙匡胤が政治的センスと滔海の思想を持ってるとは書いてあるがそれが両方、同じとは書いてないぞ!!

つーかナニが言いたい訳?

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:53:37 ID:USEQUbGM0
韓信を引退に導けなかった劉邦を批判してるのかな

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:42:28 ID:aI8p1hphO
ではそろそろ皆さんで、何故、韓信は、連座の罪で処刑されそうになったのか?
この謎について、このスレなりの一致した推測を出してみましょうか?
確か光輝氏は、この部分はカットしていたものと記憶しています。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 08:10:35 ID:Lo28lxvYO
周りに強敵が居なくなると今度は自分より優れた家臣が怖くなる
孫子や陶朱公そして張子房は空気を読んで政界から身を退いたが

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:29:19 ID:aI8p1hphO
>>67
それについては、多くの作家が指摘しているように、劉邦という人間と間近で接
する機会がなかったということが、やはり大きいと思うね。
大将軍や王は、外地で大きな軍を独立して持っているから猜疑心を受けやすい。
文官や側近は、顔色や失言を見ることで危険度をはかれるが、英布、彭越、韓信
はほぼ文書や、褒美、使者からの言葉からでしか劉邦を知らなかったからね。
君主の人間をよく知ることが出来る環境にあった、という前提の下に、初めてそ
の処世術は、評価されるべきかもしれないね。


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:29:44 ID:WpfW/lpqO
>>68
陶朱公こと范蠡は勾践を「苦楽は共に出来ても観楽はともに出来ないのです」と
文種に忠告している様に優れた慧眼の持ち主。
越を密かに脱出した後、斉で商売に成功しかし范蠡の名をを聞いた斉は范蠡を宰相に迎えたいと来るが
「名が上がりすぎるのは不幸の元」と財産を全て他人に譲り陶へと移りここでも巨万の富を築いた。
年老いてからは息子に全てを譲り悠悠自適な老後を過ごした。
この様に君主の人間をよく知ることが出来る環境にあった、という前提以外に
人間の嫉妬心、己の周りの状況を的確に判断できたことで滔海に成功した例もある。
(状況の違いはあるも合い通じるものがあると思う)
それに蕭何の様に高祖の傍らに居ながら
猜疑の目を向けられても他人に警告されるまで気付かなかった例もあるので一概には言えないと思うが・・・


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 09:36:45 ID:8szXYtSDO
韓信が世情に疎いとは思えないが

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:04:36 ID:lBBoNMbNO
>>69
確かに一概には言えないね。
ただやはり、相手の顔を見て交渉することと、電話、或いはメールなどで交渉す
ることと同じくらいの差はあるのでは?
まっ、案外直に会ったほうが余計に下手を打つこともあるけどねW

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:37:13 ID:0KHz2KBHO
蕭何に見出だされ蕭何の策に嵌まって散るなんて、なんか因果めいてるね

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 01:19:22 ID:S9mcZ/LR0
たいていの天才は突出した分野以外は欠損しているもの。
万能の天才なぞ、過剰評価された秀才であることが多い。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 22:12:56 ID:+BEpW1Me0
力があるのに力を使わない、ということができなかった
(あるいは政治以外の所で力を使う)
最終的に反逆者になってしまったため、儒家から評価されない

この人の不幸は、この2点だと思うな

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 00:34:46 ID:JH761cSLO
英布、彭越たちは追い詰められ謀反を起こしたが
韓信は劉邦の自分だけに対する想いは違うと思ってたんじゃない?
皇帝になると猜疑心に蝕まれるのは致し方ない病だしその辺を彼なら十分理解してたのに
身辺の配慮が少し足りなさすぎたのが淮陰侯へと降格され
行き当たりばったりな謀反につながったのかな?
結構自尊心が高いみたいだし自分への処置はに彼は耐えられなかったのだろう・・・

76 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/12/05(火) 23:16:01 ID:62aVJzpf0
結局頭いいのか悪いのかわからん

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:24:08 ID:rnG4/WcxO
戦術と政治と個人の生活は別でしょう。
頭いいと一口に言っても、全てに置いてということはないだろうからね。


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 00:53:21 ID:oiUW8OtU0
中国史上最高の将軍韓信と中国史上最狂の項羽を殺した劉邦様こそ
中国最強のお人だな

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 22:34:46 ID:rZrj24N/O
見方を変えれば劉邦は敵と己を知ることにかけては当代一流の人だったと言えるのかも…。
武門も教養もなく経営、戦術も見出だせない自分を知っていたからこそ家臣の献策を信用し
よく用いた。
そして統一後は予期しない反乱が起きたら自分では抑えられないことを知っていたから難癖
つけて早くに粛正に走った。
自信満々で己を知らず敵を侮った項籍と自信もなく敵を或いは過剰に恐れた劉邦の勝負は、
兵法書通りの結果をもたらしたのかも…。
そして韓信は直接劉邦を見て話す機会を持たなかったが為に相手である劉邦を知ることがで
きず劉邦の小心と猜疑心を侮り信用してしまった…。
結果論からしか語れない筋書きだけどねW

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:28:28 ID:wT6Gv2/zO
韓信では国を運営していくのは無理だったかもね。
政治家とのパイプも薄そうだし…。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 02:52:07 ID:nIebNJY1O
結局、韓信には皇帝になろうとする程の野望は無く、かといって自分の将才に絶大の自信があるが故に、樊カイや灌嬰のようにもなれず終を全う出来なかった。

やっぱ、半端な野心じゃ足元すくわれちゃうね。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 05:54:38 ID:3p13+qeK0
後の国際警察機構・九大天王の一人である

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 06:04:00 ID:lj5Dgg0+O
>>80
国を運営は無理ってあんた情勢が複雑で要の地、斉の国をちゃんと治めていたし
楚に封地替えになったのは理由が別だ。
>>81
灌嬰はともかく樊カイは高祖に廬綰が謀反をおこしたとき疑われ殺されかけてるが・・・

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 18:50:27 ID:nIebNJY1O
>>83
史記 淮陰侯列伝に、「絳・灌らと列するを羞ず」とか「生きてはすなわちカイらと伍をなす」みたいに、劉邦の股肱の将を侮ってる感じがあります。
司馬遷も「もし韓信をして道に謙譲を学び、おのれの功を伐(ほこ)らず、その能を矜(ほこ)らざらしむれば、庶幾(ちか)からん。
漢家において勲もって周・召・太公の徒に比し、後世、血食すべかりし。」と欠点を指摘してます。

まぁ、司馬遷の受け売りですけどね。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 11:55:35 ID:5S9FiXtbO
司馬遷は史記を私情を挟まず公正な視点で書いてますから
誉めるとこは誉めてますがどうしても韓信への後期の評価は辛口になっちゃうね。


86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:32:43 ID:v1qdtGQGO
ん〜、しかし少なくとも漢の創立時代に関してはやはり皇室寄りに書いてるかも…。


87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:06:01 ID:2FI67Iwq0
韓信って若くて一兵も士気していないのに
なぜ趙括や馬謖のようにならなかったのか

本来参謀やピン将校で長年の経験をつまなければならない
武将の使い方とか戦闘開始のタイミングや戦場でのとっさの
対応だの・・・・・・やはり天性の感だったんだろうか?

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:57:30 ID:OEmqgpo/O
確かにそれは謎つーか我々凡夫には理解出来ない領域だな。
半ばぶっつけ本番で三秦を平らげたりな。
それと才能あると見抜くっても経験全くなしな韓信をあれだけ強く推挙した夏侯瓔とかもある意味凄いわな。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 18:10:43 ID:FO7oDoxnO
>なぜ趙括や馬謖のようにならなかったのか
韓信や義経は庶人階層で幼少、青年時代を過ごしたお陰で兵法の常識や戦の既成概念に捉われることがなったことが要因では?

まあ生まれ持っての才能も深く関係しているに違いないが・・・


>半ばぶっつけ本番で三秦を・・・
真の戦上手とは戦闘前の段階で既に勝敗を決しているんだよな。
韓信も当然、その部類に入ってるのさ!!


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 21:53:55 ID:2FI67Iwq0
井陘の戦いは3万で川を背にして趙軍20万と戦ったことばかり強調されるけど、
別働隊が留守の城を奪われてから趙軍はオロオロしていまい勝ったけど、
あのまま損害無視で3万の韓信を攻撃し続ければ勝てたし、城なんてあとから
取り返しても・・・「川を背」というは敵の城を奪うための陽動と言うか
敵味方へのアピールで、最初から韓信の手の上で踊っていた。

濰水の戦いとかも龍且は韓信の仕掛けた罠に飛び込んで全滅したし、
まずは救援なんだから斉王側と合流すれば韓信もうかつに手出しできないし、
じっと我慢して川やら丘陵や伏兵がいそうな場所は避けて平野での決戦を
すればよかったのに(韓信なら戦端を開かないだろうけど)

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:02:45 ID:FO7oDoxnO
>>90
陳余は李左車の献策を無視するぐらいだからそんな冷静な判断はまず出来ないだろうな・・・

龍且は韓信の事を「股夫の分際で生意気な」と
かなり侮っていたんじゃないか?
俺は他の奴らとは格が違うだぞみたな感じで。


もし、陳余、龍且が冷静かつ慎重に対処し、章邯が往年のキレを失わず、韓信を侮っていなかった場合や
斉の田横が応戦状態で迎え撃ってたらどんな戦いになっていたのだろう?
韓信もそう容易く勝てはしなかっただろうな。



92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:11:27 ID:4USCu0cI0
趙括にせよ、韓信にせよ、馬謖にせよ、彼らの祖国は一発逆転に掛けなければならないジリ貧状態。
成功したのが韓信、失敗したのがその二人。
大失敗か大成功かの勝負で才人の実力を計ってはいけない。
ただ戦線を確保させるだけなら廉頗なり魏延なりで良かったのだから適材不適所ということになる。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 01:13:46 ID:Z7TB/i2OO
結果で才能を測るしか普通は手段がないけどなぁw
才が足らぬから失敗をする事だってある意味当然。

運も無能な者にはあまり微笑むモノでもないようだしな。
策にはめられる武将は仕掛けた側に性格的なモノを読まれているケースが大半だから「あの時○○がもっと冷静なら〜」は無意味な話じゃね?
冷静な判断しない、出来ないって云う短所を見抜かれての策なんだから。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 01:54:36 ID:fhZ32VTL0
趙括、馬謖も敵将、敵軍の強さを計れてない時点で
結果云々じゃなくても韓信とは全然差がある
趙括の場合は敵将がこっそり白起に変わったから若干擁護の余地はあるけど

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 06:52:55 ID:uD6c81xyO
>>93
ああっ、わかってるよw
あえてそうじゃなかったらどうなってた?か思案してみるのってダメか?
韓信ならどんな二の矢、三の矢を放ってくるのだろうか?と単純に思っただけなんだけど・・・

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 08:09:59 ID:Z7TB/i2OO
>>95
いや、ダメではないw

冷静で猜疑心強いヤツなら〜って策も巡らせられたんじゃないかとは思うし。
まぁ馬謖とは器にかなりの差があるとは思うけど。


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 03:18:34 ID:XMCVuhiAO
>>92
趙括や馬謖の技量は
趙奢や劉備が既に見抜いていた
それにも関わらず秦の策略に掛かり趙括を総大将とした為、趙括は所詮、机上の兵法なだけと自ら証明することになり、
兵法に精通しているつもりの馬謖はスタンドプレイに走り、街亭にて失態を冒す結果に・・・
その点、韓信は才能もあり兵法の正と奇の使いわけ、正と奇を組み合わせることをよく理解していた。
趙括、馬謖は才に慢れ、兵法を生半可に理解していた為に失敗したのだ!!
まあ当然の結果だ、同情の余地はないな。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 03:34:45 ID:sidhMILX0
李左車の献策の内容も陳余に却下された事も、韓信はきっちり察知してるもんな。
で、これで勝てると読んで戦に臨んだわけで、戦う前から勝負はついてた。
敵の動向も知らず己の才に溺れて無謀な作戦に出た趙括や馬謖とは比べ物にもならん

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 06:52:55 ID:XMCVuhiAO
余りにも可愛そうなので少しだけ擁護w
趙括は父である趙奢が馬謖は兄である馬良が才に溢れ有能過ぎた。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 08:22:01 ID:y8eg/BnC0
「股くぐり」の逸話が示すように、韓信は耐えるべき時には屈辱を耐える事ができたのにな
若いときに凄い我慢ができて、年取ったら堪え性がなくなって「女子供の謀略」にかかるって……

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:39:59 ID:XMCVuhiAO
股を潜ったのは大いなる志の為。だから我慢できたんだろ?
志が達成され栄達した後は本来持っていたプライドの高さ故に
格下のハンカイ達と同格という立場に耐えられなかったのだろうな。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:06:52 ID:rRbCeO8v0
知っているか?兎がいなくなれば猟犬はいらなくなる
だから猟犬は兎を狩り尽くさない・・・

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:12:08 ID:SEoxJ4KYO
それは結果論かな。統治後の反乱も兎でしょ。
韓信以下王の誰もが身を引くようなことはしていない。
劉邦という人間は読みにくい人だったのでは?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 05:22:40 ID:EYrIUidcO
>>102
じゃあ君は『君子豹変す』て知ってるか?
あと越の勾践や劉邦と同じく庶人階層より皇帝になった明の高祖、朱元璋にせよ権力の座についた人間は猜疑心の虜となる事が多いって事例を。
秦の宦官、趙高も立場は違うが権力の座を守る為、誅殺した例を。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 05:26:31 ID:VFuwotMG0
>>104
ネタで書いているのか?「君子は豹変す」を間違って解釈している。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 11:11:10 ID:EYrIUidcO
ああっ、当然ネタだw
だって>>102が事実を知らず変な事言ってるからさw
第一、易経に出典されてる本来の意味とは違う意味で日本では解釈されてるし。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 15:32:04 ID:8yr3DFBq0
102はロイエンタールだろ

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 15:35:45 ID:0CAcgwK50
>102が言っている兎って項籍のことか?
鐘離昧とか残党の兎も高祖は血眼になって捜索させているが。
それと統治後、謀反を起しているのは兎ではなく
むしろ高祖に疑われ追い詰められた猟犬の方なのだが・・・


109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:14:06 ID:rRbCeO8v0
>>102の話は中国史が好きな某作者の某スペースオペラのせりふ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:30:26 ID:KzMEQZLL0
>>102を脳内若本ボイスで読んだ俺には、流れをおかしく感じた

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:46:20 ID:SEoxJ4KYO
いや結果論から言えば>>102は正しいと思いますよ。カイトウは現に見通していたわけだし…。
ただその辺の処世術の見定めは韓信には難しかっかたかもね…。
范雎や張良みたいに四六時中主君の傍にはいなかったわけだし。
韓信は>>102と同じことを間際に悟ったのかも知れないよ。


112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 05:52:05 ID:bkxUDkASO
韓信と軍略で肩を並べる人物って南宋の岳飛、明の劉基(劉伯温)辺りか?


113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 20:26:27 ID:hdP5IG0T0
岳飛みたいな虚名が実力の何倍かに膨れてる人物と比べるのはちょっと……
唐の李セキぐらいじゃないの?匹敵する名将って

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 03:09:01 ID:28VXUgzOO
李勣と唐の大宗って韓信と劉邦との関係を良い感じにしたみたいじゃないか?

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 12:46:16 ID:o4R9z5VP0
>>109 いや、唐末に起こった黄巣の乱のとき、>>102のことを言った武将がいるよ。
劉巨容という人。 結構有名。
で、そのセリフは黄巣と戦い、あと一歩で撃滅できそうなときに言った。 それは
「今ここで賊軍を撃破してしまうと、武勲が巨大なため、今度は我らが朝廷から狙われる。 ならばここで、賊軍を生かしておき、我らが富貴とするにしくはない」
と。 
乱世の武人は、いろいろ気を使わないと生きていけなかったのだろう。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 06:40:42 ID:UmJGK5XMO
>>115
劉巨容は反乱軍から朝廷に帰順し、節度使になった人物だろ?
唐末の朝廷は宦官が権力を握っていたし、節度使って半独立政権な訳だから
彼としてもそこまで手柄を立てなくても別によかったんだろ?
節度使は他にも何人もいたし、劉巨容は史記を読んで韓信や彭越の末路を知っていたみたいだけど、
韓信の場合とは状況が少し違うと思うよ。
結局は宦官の田令孜に殺されるのだか……


117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 09:56:43 ID:nWXLFNsB0
セリフだけの問題で、別に韓信と比較して見の振り方がうまいと言ったわけでは…

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 08:12:15 ID:32JJ15Ys0
質問なんですが、ヨーロッパでは戦争ではせいぜい10万程度の
軍隊を動因できず食料の輸送(現地調達)で窮々して、数万が
駐屯した場所の経済力は破壊されたという話を聞き、それが
改善されたのは、鉄道と内燃機関が発達した20世紀になってから
ですが、

中国では普通に10万単位を動因していますが、蕭何あたりは
食料の輸送のメインは馬車なんでしょうか?水運とか使っていたのですか?
現地調達が多いのですか?カロリーの高い米があったから
韓信の十七条の軍律?では略奪は死刑だそうですが。


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:30:18 ID:vd7Yla4B0
>>118
カロリーの高い米、って誤解だよ
東アジア地域は、基本的に穀物の反当り収量が欧米の小麦と比べれば、粟にしろ稲にしろ
非常に高い(理由は労働集約的な農業形態と反当り収量で小麦を凌駕する稲のおかげ)

韓信に匹敵する武将っているのかな?
純粋に戦術、指揮能力においてはダントツじゃなかろうか?
他の名将と言われる類の人物に関しては、武勇や政治力でそれを補っている感じだな
晋の頃の異民族武将石勒が劉邦の幕下で(韓信たちと)功を争いたい
と言ってたのが、印象的な韓信評

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 12:35:07 ID:363rSQsaO
>>118
普通に10万単位を動因していますが、というがそれって余程の場合では?
国の規模と人間の数の多さで錯覚しそうですが、
普通の場合なら3〜5万程度だと思いますが。
特に中国では武力は忌み嫌われる存在だし、戦争をするにもまず策略、謀略などて戦わずして敵を降伏させるのを上策としていますし。

蕭何に限らず食料の輸送のメインはやはり馬車でしょう。
四頭立ての馬車は世界に先駆けて中国が一番最初に実用化に成功した訳だし
交通網とかも結構整備されていたはず。
水運とかは江南などでは発達していたかもしれないが華北は陸上輸送がメインかと。
現地調達は敵から略奪したり、駐屯地で徴発したのでしょう。
しかし徴発は住民に反発を買う為、統治後の事を考え止む得ない時しかしなかったのはず。
寧ろ自前で補った場合が多いようですが。
これを重要視しなかった為、項籍は何度も退却を余儀なくしたし。

米は華南がメインで華北での主食って麦だったような気が・・・
韓信の場合に限らず大体、正規軍では略奪は死刑ですよ。
略奪するのは流軍や野盗上がりの粗悪な軍隊がおこなう野蛮な行為ですし。


>>119
悪評と欠点を考慮して総合的に考えて見ると、
曹孟徳なんかいい線いくんじゃないかな?

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 00:46:07 ID:IQ68peQ2O
総合的に見てだから、政治や外交力など軍事的才能意外をトータル的にして良い線でしょ?

そうなるとやはり軍事的才能では並べないでしょ。
曹操は大敗もあるだけにねぇ。傑物だけど。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 01:31:18 ID:RShMVg6LO
>>121
まさに予想どうりの反論が
総合的に見てとは、曹操って優れたブレーンや武将が周りにいたり、
悪役としてのイメージ強くて個人の能力が過小評価されそうだと思ったから・・・
一応後漢末からの厳しい状況から中国の三分の二を制覇した訳だし
判断力、統率力、優れた戦略眼、人材登用能力、虚実の論に長けてるとことかなど、
軍事的才能では並べないってことはないと思うが!!第一韓信の時より曹操の相手した武将達のほうが比較的手強くないか?
確かに曹操は大敗もあるけどだからと言って軍事的才能が劣るとは思えないが・・・

失礼ながら笵雎の場合、同様あまり詳しく理解していないご様子?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 05:46:38 ID:RShMVg6LO
連投で申し訳ないのだが、もう少し言わせて頂くと
曹操は大敗はしているが赤壁は自軍+荊州からの吸収した即席の軍隊だったうえ、
主力部隊は華北出身で水上の戦闘は不慣れだったし、
ホウ統にしてやられた感もあるよな・・・
官渡の戦いでは決断力、判断力の凄さを、
漢中攻略で馬超・韓遂軍に苦戦した時は離間の策を仕掛けるなど臨機応変さも見せてるし・・・
漢中でも場合もホウ統が暗躍して訳だし。
だから曹操の軍事的才能はかなり優れていると思うよ。


あと笵雎が政界から身を引いたのは自分の意志だけではなく無名の若造の蔡沢に
『四時の序、功を成す者は去る』『亢龍悔いあり』と
引退を勧告されて決断したんだよ。
寧ろ本人は高い地位に留まることの危険性に気付いてなかったし。

結果論も結構ですがそれだけで判断を下すのもどうかと・・・


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 15:59:38 ID:194shDz10
韓信なんか自分で一から育て上げた精兵を何度も
劉邦に大量に奪われてるんだぞ
勝ち方の鮮やかさとかも曹操とは比べるまでもない
韓信に並ぶとしたら白起とか異常な勝ち方をしてる将じゃないとな

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 18:04:57 ID:IQ68peQ2O
>漢中も場合もホウ統が暗躍?すまんが意味が解らない。

そもそも相手が比較的に手強いとかも、客観的な優劣は付けがたい訳だからどちらが上とか下とかは難しい。
曹操は確かに凄いよ、俺は過小評価してないつもり。後漢末〜随一の英傑でしょ。

しかし軍を操り敵を撃破する能力では韓信には適わないっての。
韓信の場合は本拠地を持たないような流軍的な状態から〜はたまた鍛えた精鋭を召しあげられて、再出発などを繰り返して小勢で大軍を攻め滅ぼしている(基本、守勢な立場での戦はない)

しかも短期間に連戦しての結果だ。
後詰も、国元からの援軍もない。

曹操は戦力、経済力などで大半の戦は戦略的にかなり有利な状況だろ?
相手が小物かのように言うなら曹操が序盤に相手した勢力もいまいちな訳だ。
後半年は半分以下の国力である呉、ショクに対して勝ちきれなかったのだし。



126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 19:39:20 ID:oPTMez7T0
釣りでしょう。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 20:27:39 ID:RShMVg6LO
こっちは真面目に議論してるのに釣りとか言うならもういいや・・・

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 01:45:10 ID:4FcyFnmeO
俺は普通にレスしただけだがな。
しかし漢中争奪時点にホウ統いないぞ?法正の誤記?

どちらにしろ、政治力や統治能力などでは韓信は曹操に適わないが、軍事能力に特化した評価ならやはり韓信は桁違いな気がするが。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 05:00:23 ID:7b9vUZzqO
>>126のことで君ではないw
どちらにしろ、政治力や統治能力などを比較するつもりも、
曹操が韓信に軍事的能力で絶対適うとは思っていないよ。
ただ曹操なら結構いい線いかないか?って思っているだけですよ!!
だから純粋に事例をあげていったまでのこと。   
岳飛が却下されたしww
自分は韓信大好きだし、孔明が一番大好きwww
どちらかと言うと曹操は嫌いなんだけど彼の才能は高く評価せざるえないしね。
漢中でのホウ統は勘違いスマソ・・・
蜀も呉もあの時点で別に無理して攻めなくてもいい様な勢力と思っていたのでは?
董卓、袁紹が人物は別としてイマイチな勢力とは・・・orz




実は君との論議を密かに楽しんでたりする訳で・・・

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 17:05:53 ID:4FcyFnmeO
>>129
韓信自体が政治力や処世術やらには疎い部分があるだけに(一概には言えないかもだが)曹操とは比較しにくいってのもあるかな?とね。

単純に戦術辺りを比較すると陳慶之とかは少し似ているかもしれん。もっと近いタイプいるかもだが詳しくない時代も沢山あるから解らん。
董卓の勢力とは死後の残党との争いだし、袁紹勢力は巨大だったが袁紹の判断力がかなり問題あった人物だしね。
呉、ショクへは何度か遠征しているけど結果が出なかっただけどはないかな?


131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:39:28 ID:7b9vUZzqO
確かに似てるは陳慶之!!南北朝、五胡十六国は好きだけど、梁は余り得意じゃないし・・・
武帝(蕭衍)ぐらいしか興味ないしなorz
どちらかと言うと劉宋、南斉の方が得意だし。
陳慶之って寡兵をもって衆を撃つのが得意だったり
北魏を破る時背水の陣みたいなことや猛将侯景を打ち破ってたり、
韓信並なこと披露してるよな。
梁書、南史ではべた褒めで、童謡に謡われてるほど戦術の天才だし、      韓信同様に忠義を貫いていたり彼には異論なし!!! まあ終わりを全うしてるけどね陳慶之は。
田中芳樹の影響と神格化されてる点を差し引いてもやっぱ岳飛を挙げとくよ。
曹操の才能は韓信に負けるが見劣りはしないで如何かな?


別に二人でキャッチボールしてる訳ではないので
諸兄の方々コメント、反論ヨロシコ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 23:57:12 ID:3l5F7Sm20
韓信の比較対照に陳慶之はないだろう>>130-131

個人的には、秦漢以前ならば、外様の軍事司令官(大抜擢)という境遇を考慮して燕将楽毅が
良い比較対照になると思う(全斉の平定という類似点もあるし)
まあ、楽毅の頃の斉と韓信の頃の斉とでは、国力に差がありすぎるから、比較は結構しづらいが

秦漢以降だと、魏から鍾会、蜀平定の作戦計画作成と実行を評価して
蜀から諸葛亮、功績は語るまでも無いな(政治家諸葛亮像も極論過ぎるよなあ)
続いて、西晋飛ばして東晋十六国から
東晋だと、祖逖、桓温の北伐勢が辛うじて比肩できるか、できないかの当落線上に来るかな?
五胡だと、匈奴漢(前趙)時代の石勒と前秦の王猛が最強の軍事司令官だな
(慕容垂は自身が前燕皇族の出身だから、スタート地点からして比較対照にならない)
で、南北朝時代だが南朝からは檀道済の一点張り
軍人にとどまり、政治的野心を持ち合わせず、それゆえに身を滅ぼす当たりが類似点
北朝からは、個人的な趣味で慕容紹宗(東魏)と斛律光(北斉)、韋叔裕(北周)あたりか
曹操や高歓も捨てがたいが、韓信のような軍事専門家に落ち着いていられなかったあたりが
比較対象に挙げなかった理由

隋唐まで来ると門外漢だから結構怪しいが、ひとり選ぶなら李靖かな
近世以降の軍事司令官って、韓信ほどの権限与えられる人物がほとんどいなくなってしまうから
なかなか比較になる人物が挙げられん
強いて言うなら明の徐達ぐらいか、一介の牧童があそこまでの軍事的功績を治めた時点で
韓信以上といえる唯一の人物かもしれない

こうして見ると、韓信にあれだけの権限を許した劉邦ってやっぱ凄いな
魏晋南北朝、隋唐、五代十国と大抵の国家で、軍事権限を拝領した名将たちが
簒奪あるいは、途中で功績が大きくなりすぎた時点で誅殺されている
最後まで信任できる度量は、やはり大したものだ

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 05:59:48 ID:iFne1KEJO
>>132
陳慶之が比較対象にならない理由をキボンヌ。
結構共通点が多いと思うが。
あと岳飛は?明の劉基は?
ダークホースとして漢の灌嬰を挙げとく。彼は結構、凄いよ!!


話題と関係無いけど個人的には田横ともまともに戦わせてみたかったな。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 08:11:59 ID:5/tZuJT60
>>132
陳慶之が洛陽に至るまで四十七戦無敗、三十二城落とした、という軍功から高く評価したい気持ちはわかるが
少なくとも、>>132に挙げた殆どが、州(国)単位で領土を経略した連中を中心にして
名前を挙げさせてもらっている(諸葛亮は怪しいけどなw)
あと、陳慶之が獲得した領土をどれだけの期間保持しきれていたか分かる?
爾朱栄に一蹴されて、結局瓦解してしまったわけで、これを韓信級と比肩できるかどうか

岳飛は門外漢だから評価は避けさせてもらう(小説と史実を自分の中で整理しきれてないから)
劉基はどこからどう見ても名参謀、張良、陳平に比せられて然るべき人物では?
灌嬰は韓信除けば漢軍第一の将帥だろうね、ここら辺は世間的にも評価は固まってる

別に煽りではないんだが、陳慶之は名将と呼ばれても、結局歴史的影響を持たない部類の
名将でしかないからなあ(宇宙大将軍なみに影響力を発揮されても困るけど)

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 10:52:36 ID:fXLV+qUg0
蕭梁自体に北伐の意思がないのに、1万に満たない兵力で、敵国の首都を落とすのは、一方で、いつでも落としてやるぞ、という示威行動にもとれる。
あとで取り返されたのは、陳慶之が放棄したから、という事情もあるし、軍を解散して逃げたあとも、ちゃっかり北面の将軍やってるじゃないですか。比較すべき対象でないのは当然ですから、下に見る必要もないと思えますよ。
本来、たんなる国境防備の将軍であって、韓信とは立場も時代の流れも違うでしょう。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 11:39:59 ID:rmxolwLH0
>>135
「いつでも落としてやるぞ」?
北魏が内紛状態だったから達成できた幸運の産物をどう評価したらそうなるんだ?

戦略目標:北魏内紛につけ込んで、傀儡王朝を華北に打ち立てる
 戦術目標:北魏中枢への梁軍の軍事的橋頭堡の確保
  必成目標:北魏領内への侵攻により、梁の軍事的優勢の確立
  望成目標:北魏首都洛陽の奪取
敵:?
我:梁軍7000、寡兵ながらも士気すこぶる良好、将帥は稀代の名将
地形:洛陽まで、河川が多数横行しているものの、平原が連続している
   むしろ水戦が得意な梁軍としては、発達した河川は有利に働くものと思われる
時期:北魏内紛、朝野ともに乱れ、時機今をおいて他になし、速やかに任務達成されたい

戦術の基本的な分析項目に則って評価
実は、肝心な部分が抜けている、そう敵勢力の設定
北魏朝廷か、それとも軍権を掌握していた爾朱栄一党か
「彼を知り〜」は有名な孫子の一節だが、敵の設定を誤れば(過大評価、過小評価にかかわらず)
戦術、戦略は崩壊する
そして、梁武帝にしろ、陳慶之にしろ、北魏北海王にしろ、完全に敵情を見誤った
(陳慶之は梁朝廷に援軍を要請しようとしているが、既に時機を逸していることに気づいていない)
どうしてこれが韓信、劉邦に匹敵する名将、名君と言えようか?
そもそも戦略目標に対する、それを達成しようとする意思が「上手くいけば儲けもの」ぐらいの
薄弱としたもので、どうして六朝200年、華北奪還の大望が成し遂げられよう

またしても辛口ながら、俺流の梁北伐評
陳慶之が嫌いなわけではなくて、>>135がおっしゃるように比較すべき分野が違うだけ
韓信は、劉邦の側面(北)を掩護すると言う戦略目標から外れさえしなければ、何をしてもいいというくらい
信任されていた
(劉邦のルーズな一面の表れとも言える、だから平気で韓信から兵力をひっぺがす)

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 13:35:18 ID:fXLV+qUg0
なるほど。 そこまで考察されているのであれば、陳慶之に関して門外漢は、これ以上口を挟まないほうがいいみたい。そこまではこちらも知らないので。

それ以外で言わせていただくと。
唐末五代で一人の将が信任され続けなかったことに比べれば、というのは暴論であって、制度として皇帝権力の復活が第一とされてきたような時代だからこそ、君主の度量として実力者を実力者のまま据え置くことはできなかった。
皇帝以外の何者も、それ以上かそれに次ぐような実力者であってはならなかったので、韓信のような存在は、つまるところ五朝期の皇帝そのものであるわけです。
安易にそこを比較対象としてもってくるわけにはいかないということ。
時代性、政治的背景、制度の違い、そういったものを十分理解しているとは思えますが、前時代の人物を称揚するには、慎重さが必要になってきます。 まぁ雑音でしょうが。




138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 22:51:24 ID:iFne1KEJO
133ですがなんかすいませんね。
自分が陳慶之を称賛したばかりに話がややこしくなってしまって・・・
自分的にはざっと見て陳慶之がなんか功績や立場は抜きに
軍事的能力とか行動が比較的、韓信とよく似てるなと思っただけで、
別に同格だとか言いたかった訳ではないんですよ・・・
そもそも韓信の業績は他の追従を許さないし、立場も取り巻く環境も敵の質もすべて違うのと
端から適わない相手に無理矢理、
近い人物を探しているので異論が出るのはだからしょうがないでしょ?
単純に軍事的能力が近い人物って誰?
そんなんじゃだめですか? 某スレ板じゃないんだしw

>>132
確かに徐達は凄い。でも朱元璋自身、傑物だしね。
あと劉邦は韓信に頼ざらるえなかったのでは?
項羽を打ち負かす為に彼は絶対必要だった訳ですから。

>>137
貴重な意見であり、決して雑音なんかじゃないですよ!!

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 23:50:56 ID:dC9KgvnS0
韓信に境遇が似ている人物ってのも、なかなか出しにくいが、
一時期、置かれた状況が似通っている人物なら、心当たりが一人、
チラホラ名前が出てる後趙の石勒、こいつが漢の将軍だった頃がなかなか面白い。

基本的に、永嘉の乱における漢の劉聡の目当ては晋朝廷の主力そのもの。
しかし、関東には晋側の群雄達が乱立していて、漢側としては兵力を河南・関中方面だけに
志向するにはかなり難しい状況にあった。
そこで、かねてから魏郡一帯を荒らしまわっていた、群盗勢力出身の石勒に関東攻略の
白羽の矢が立つことになる。
結果的に、幽州の王浚、并州の劉昆、青州の苟晞等、有力な晋側の群雄をことごとく
平らげてしまう、関東の主要な州をひとりで攻略してしまったわけだ。
そのおかげで、漢側の主力である劉曜軍は関中を陥落させ、ついに西晋を滅亡させる。

ここで石勒が担った役割が、敵の消極的同盟勢力の主攻正面以外への拘束、更には駆逐
という、楚漢戦争時に韓信が与えられた任務に非常に良く似ている、酷似といって良いレベル
ついには、本国の漢よりも領土が広がってしまったわけだが。

韓信がカイ通の献策どおりに、天下三分に乗り出していたらどうなったか?
石勒は、その後独立を果たし、最終的にはかつての主家だった漢(前趙)を滅ぼして
華北の大部分をその勢力下に治めてしまった。
韓信の場合も、あるいは石勒のような結果になったかもしれない。
(奴隷であり、異民族出身であった石勒が統治者としてある程度漢人たちから許容された経緯を
 踏まえれば、実は韓信の独立はそこまで荒唐無稽で、可能性が低い話ではなかったのでは?)

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 20:56:40 ID:Z9Z3BI1eO
韓信と比肩しうる人物ならば後漢の班超とかどうかな。
非常にドラマチックな人生を送ったとことかも似てるし。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 21:54:29 ID:WWeFvGqaO
>>139
仮に韓信がカイ通の献策どおりに、天下三分に乗り出していても
彼に統一後のビジョンと中華全土を治める力量が果たしてあったのかが疑問?
(一、二国なら治める器量は有りそうだが)

カイ通が丞相として補佐したとするにしても政治家としての能力は未知数な訳だし。
(説客としての才能は有りそうだが)

石勒の場合、異民族と漢人の融和政策や漢人を官僚として登用、優遇、
そして仏教を保護したりしているし、
何より石勒自身は文盲だが史記を読んで聞かさせてもらうほどの歴史好き。
劉邦に心酔していてそれを政治の手本にしているほどだしね。


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 22:35:34 ID:GnS1stG+0
疑問なんだけど、ここで韓信の軍事的な才能をやたらと高く評価してる人って
同時代の項羽はどうなの?
別時代の人間と較べる以前に、同時代にまず比較対象が存在すると思うのだが

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:16:27 ID:WWeFvGqaO
先ずは貴殿が意見を述べたほうが討論しやすいかと思いますが・・・

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:49:10 ID:vqseSny8O
項籍の強さは短期決戦、正面衝突の場合なら相当な強さだろうよ。
同数で平地で衝突してヤツに適う将は当時じゃいないでしょ。
例え韓信でもね。

けれど、それ以外のケースだと韓信には適わないだろう。勝てる準備をして、準備をする時間を戦略的に作るのが韓信の凄味だし。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:49:30 ID:y2uE9ivZ0
>>142
項羽は別格だな
韓信には無い、速度と衝撃力を兼ね備えた用兵ができるのは強味だろう
韓信は入念な作戦準備により、勝てる環境作りをしてから戦争を始めるが
項羽の場合は移動状態から一気に作戦開始でき、円滑かつ果断な指揮采配能力の下
敵の見積以上の速度と衝撃力で一気に捲くし立てる戦法は、まさに万夫不当
速い、強い、休みが無い軍隊(補給線の破綻の原因はここらへんにあると、個人的には思ってる)

でも、やっぱり「匹夫の勇」どまりなんだよなあ
稚拙な戦略構想と不公平人事、その場限りの思いつきで要人を処刑する等、欠点が足を引っ張りすぎだ
しかも戦術的勝利を重ねることで、それらを挽回できてしまうあたりが、一層不憫

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 19:09:50 ID:LPzmSXRQO
>>144ー145が言うように項羽は武力だけに頼り過ぎた。
自分はそれ以外の才能が項羽には無いと思うよ。辛口な評価で申し訳ないが・・・
古代に置ける戦闘は大将の武力が大きな要因を占めるのは分かるが
余りにもそれに頼りすぎた感が否めないな。
楚の名門の出と己のカリス性、仇敵の秦を滅ぼすことに突っ走っていただけで将来のビジョンの欠けらも無いよ彼は。
同じ軍人出身である宋の太祖、趙匡胤と比べてもその差は歴然。
趙匡胤は項羽並に個人の戦略能力も凄いが統一後のビジョンをしっかり持っていたし、
(五代の)後周の柴氏の遺族を手厚く保護もしているしな。
それと杜牧が『烏江亭に題す』という詩に詠んでいる様に
項羽は烏江の亭長に勧め通り江南に帰り
再び態勢を立て直し捲土重来を果たすべきだったと自分も思うな。
日本人なら潔い態度と称賛するかもしれないが
中国人の感覚からするとあの行動は愚かとしか言い様がない。
自分も正にそう思うし、劉邦なら恥も外聞も捨てて再起を果たしただろうに・・・

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 23:33:55 ID:vuBqNJHU0
項羽に秦打倒後のグランドデザインが無かったわけではないだろ
特に、反秦に立ち上がった各勢力に封国を与えて、各地に封建していることを考慮すると
項羽自身では、春秋五覇のような政権構想を描いていたのではないかと思われる
特に、皇帝権力の強大さと強制力、その反作用等を目の当たりにして育ってきた項羽にとっては
「皇帝制度はやりすぎだよな、やっぱり覇者として諸国に号令かけた方が余計な軋轢が生まれなくて
 いい気がする」 と思っても不思議じゃない

しかし、劉邦による早期の巻き返しによってその構想はもろくも崩れ去ってしまう
結局、戦国期通じて繰り返された、関中(秦)と関東(六国)の地域的抗争の形に持ち込まれ
最終的には、関東勢をまとめあげることができなかった項羽の外交手腕の稚拙さにより
韓信の各個撃破を受け、遂には楚は滅亡させられる

原因を求めるならば、政治能力の欠如以上に、当時の国際情勢に対する現状把握の齟齬
あるいは誤認が一番大きいと思う
既に100年以上続いてきた東西対立という問題の根幹を、覇者といった概念では制御できるわけ
なかったにもかかわらず、項羽は地方政権を調整・統制する覇者の立場に固執し続けた
斉や趙の内紛に介入したのがそのいい例だ
項羽のとった手段は、まさしく春秋の覇者の解決方法に他ならない
項羽自身に崇高な政治理念はあったのかもしれないが、現実から余りにも大きく乖離した
政治理念であったと言わざるを得ない(そういう意味で、張良の国際情勢間隔は抜群だ)

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 03:31:31 ID:1PRMy2t9O
>>147
まあ項羽に秦打倒のグランドデサイン、政治理念があったとしよう。
しかし自分の領分を弁えず何もかもを己の采配で
実行しようとした処が彼の大きな失敗の原因だな。
(自分的にはそう思う)
例えば趙匡胤には優れた弟の太宗、趙匡義がいたし。
宋建国に際しての彼の力は相当大きいよ。(悪評もあるけど)
項羽にも笵増や陳平と言った頭脳派の人材を抱えながらそれを活かすどころか手放す結果に・・・
特に陳平は策略はもちろん政治的手腕も抜群な訳だし、
これを手放したのはかなりの痛手だったはず。
自分の掲げる理念を遂行するにはこの様な人材を
巧く使いこなす必要があったのにそれも出来ていない。
時世を読む力と人材を使いこなす能力が欠如していたのはやはり間違いないな。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 22:33:02 ID:HUjkf0dg0
韓信最高の傑作ってどの戦いですか

ナポレオンのアウステルリッツやフリードリヒ大王のロイテンみたいな・・

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 00:07:59 ID:gHgeeWPxO
>>149
背水の陣の故事で有名な、井帽の戦い
編成したばかり烏合の衆である自軍を川を背にして死地に追込み、
2万そこそこの兵力で趙軍20万を打ち破ったこと。


灌嬰は元絹商人の出身ながら軍事的才能があり
最年少ながら騎兵の将として抜擢され
龍且と項他の軍を定陶の南で激戦して打ち破っていたり
二千石の者を捕らえること2人、軍を破ること16、城を降すこと46、
国を平定すること1、郡は2、県は52に及び将軍を捕らえること2、
柱国、相国を各1人と数々の武功は立ててるは、更には匈奴も打ち破っているし。
同時期でもこっちと比較する方が良いかと。
処世術にも長けているみたいだし、最終的には丞相にまで上り詰めている訳だし。


151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 06:14:24 ID:TGPtnir+0
灌嬰はどっちかっていうと総大将の手足となって活躍するって形のほうが多いような
韓信と比較するのが適切だとはあまり思わない

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 14:19:16 ID:iefUL3oh0
井陘

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 02:09:56 ID:xXDa2IYVO
>>151
>総大将の手足となって活躍するって形のほうが多いだけで
韓信と比較するのが適切だとはあまり思わないって
副将だろうが才能が無ければ実績を上げる事は出来ない訳だし
(才能があっても実績を上げられるとは限らないけどね…)
実際灌嬰が指示だけ受けてすべての戦果を挙げたのか?
騎兵を任されたり、漢が天下統一後も劉邦に常に頼りにされたのって
灌嬰自身に軍事的才能があったからではないの?
武力だけの項羽を評価し、灌嬰を評価しないのは納得できないな。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 21:49:48 ID:xXDa2IYVO
韓信がもし鍾離眛を殺さないで
季布の場合みたいに弁護してやってたら、どうなってたのかな?
(季布は夏侯嬰が弁護してやって助命されてる)
自分は韓信が高祖を説得出来ないと思うな。
弁護や説き伏せるのは下手そうだし。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 02:19:51 ID:fXqYxSskO
勝利舞の場合は韓信を除く事が目的だったんでないの?
だから弁護しても、しなくても結果的には同じ末路じゃないかと。


156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 03:50:38 ID:IAbxbp+4O
>>155
むしろ鍾離眛(変換できるが)を殺したから口実を与えた感じがしないか?
やり方次第で展開は変わりそうだけどね、やり方次第で。
(謀反を起こす以外で)

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 23:54:13 ID:64f+TmtOO
明けましておめでとうございます。

>>156
私もやり方次第で韓信の謀反は成功したと思う。
しかし、鍾離昧の首を届けている時点で謀反を謀る準備も打算もしていなかった
のだから呂后に囚われ殺されるあの段階でも準備不足だったんだろうね…。
やはり韓信自らが悟ったようカイ通の進言の時が最高にして唯一の分岐だったの
ではないだろうか? ただなんか韓信なら軍さえあればなんとかしそうな気もするけど。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 03:54:40 ID:q9Pb6Xi+O
う〜ん‥‥謀反を起こす以外の方法って言ってるのに‥‥まあいいか。

鍾離眛の時は謀反を起こす気は無かったんだし、陳キの時は自棄になって起こしたんだろうな。
韓信の失敗は高祖に対して彼を知り己を知らなかったのが原因かと思われ。
カイ通に唆され(?)仮の斉王にしてくれと、
要求した時点で韓信の運命の歯車は狂い始めたんだよきっと。
もし季布みたいに夏侯嬰に相談すればもう少し運命が変わっていたかもしれないよ。


159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 04:04:55 ID:q9Pb6Xi+O
>>158
訂正
彼を知らず己を知らなかった‥‥の間違いだ。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 06:59:33 ID:AiH33f2vO
鍾離眛の子孫が三国時代の呉で活躍していたとは知らなった。
張耳の子孫が五胡十六国時代の前涼の始祖なのは知っていたが・・・



161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 12:15:26 ID:qTBBcLA30
ん?
鍾離眛の子孫って魏じゃなかった?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:31:02 ID:AiH33f2vO
>>161
それは蜀攻略で有名な鍾会と父の鍾ヨウ。
鍾離昧の子孫は呉にも仕えていて、鍾離牧という人物。
鍾離昧の末裔で鍾離意の6世代孫、楼船都尉・鍾離緒の子だそうです。


163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:45:36 ID:qTBBcLA30
>>162
サンクス

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 12:56:39 ID:b0MRoyrmO
晩年ぼけたカイザーに、意見して死刑になるが、あそこ切って生き長らえる。そして悲壮な決意もと銀河800年の歴史書を書き始めるヤン

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:16:04 ID:qGtnEJwf0
>>44
いや、中国の史書は美化してる面もあるから
義経が韓信に勝てる可能性もあるよw
実際にやってみないと分からない


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:39:17 ID:ne0XULCqO
どちらも常識外れだからな面白い戦いになりそう。
個人的には劉宋の檀道済とも戦わせてみたいな。
三十六も計略をもってるんだろ?

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